星工務店ってどんな会社?
われわれ星工務店は、型枠大工100名、型枠解体工70名のスペシャリストと共に、型枠工事の専門工事業者として、鉄筋コンクリート造のビルやマンション等を手掛けています。
型枠って何?
柱型枠
型枠とは鉄筋コンクリート造(RC造)の建物をつくる為に、コンクリートを流し込むための仮の枠組みのこと。仮枠ともいい、コンクリートが打ち終わったら取り外します。一般住宅から、高層ビル、駅などの大規模建築物など、鉄筋コンクリート造の建物は様々です。型枠大工とは、桟木とベニヤ板を使い、その枠組み(型枠)を造る技術者のことです。
現場写真
一人前になるのに10年はかかると言われていて、垂直・水平・図面との誤差が±3mmが許容範囲と、大変精度が求められます。10階建てマンション(6か月くらい)から、大規模建築物(3年くらい)と、作業工期もいろいろです。出来栄えは、見た目もそうですが、躯体という、建物の構造(強度)に大きく関わってくるので、精密で、確実な仕事が求められます。
型枠工事の歴史
コンクリートの歴史
コロッセウム
コンクリートの歴史は古く、古代ローマ時代、既に型枠を用いて伽藍や橋、水道橋が造られたといわれています。
当時の建築としてのコンクリートに鉄筋は入っていませんでしたが、今もなお残る建物を見ればコンクリートの丈夫さは明らかです。
当時の建築としてのコンクリートに鉄筋は入っていませんでしたが、今もなお残る建物を見ればコンクリートの丈夫さは明らかです。
型枠工事の歴史
軍艦島
鉄筋コンクリート造(RC造)の技術は1850年、フランス人のジョセフ・モーニエによって発明されました。1900年頃から日本でもRC造の建造物が造られ始め、その後、明治期から戦前にかけてRC建造物の需要が増加し、現在の型枠大工が専門職として位置付けられました。日本の最初期のRC造建築として、長崎県端島、通称「軍艦島」のアパート群(1916年)や、神奈川県横浜市の三井物産横浜ビル(1911年)はとても有名で、今もなお形を残しており、三井物産横浜ビルは現役で使用され続けています。
型枠材料の歴史
せき板(ベニヤ板)
ベニヤ板
明治期は厚さ50mm~90mmのばら板を実矧ぎで組み立てていました。大正期に入り、現在の2×6、3×6パネルの元となる木製定尺パネルが開発され、材料の数量把握、加工、組立が非常に効率的になり、型枠工事の歴史を大きく変えました。その後改良がなされ、1970年頃から現在我々も使用しているコンパネが大きく普及していったといわれています。
フォームタイ・セパレータ
Pコーン
1950年頃、アメリカ式コンクリート工事を参考に、現在のフォームタイ・セパレータ・コーンが型枠工事の標準材料とされた。
また、1955年から1965年にかけての工事量の増加に伴い、型枠精度の低下、躯体のはらみ、パンクなどが多くみられるようになり、当時は番線であった締付具も、現在使われる、鋼製の単管パイプ・パイプサポートに改良された。
フォームタイ
セパレーター
締め付け材
パイプサポート
現在は単管パイプやパイプサポートが使用されていますが、1955年頃まではなまし番線、桟木、胴木、端太材が使われていました。
単管パイプ
コンクリート製造
1875年頃にはセメントの生産が始まっていた。1910年頃にはミキサーが運転していたが、一般的には現場練りで、人力による運搬・打設が行われていました。
型枠施工手順
建物の設計図から、型枠をどのように作ればいいのかを拾い出し、加工図を起こします。柱・梁・壁・スラブなど、部分部分によっての寸法、数量を正確に計算しなければなりません。現在ではCADというソフトを使い、パソコンで拾い出すことも珍しくありません。
加工図の通りに、ベニヤ板と桟木を切って加工します。資源の無駄をなるべく出さないように、合理的に木材を加工します。
現場で、型枠を建てる場所に墨を出します。ミリ単位の精度が要求される型枠大工にとって、最も重要な作業となります。
墨が出たら、その位置にぴったりと加工した型枠を建てていきます。型枠の通りに建物は出来上がっていくので、水平・垂直を見ながら、正確に型枠を建て込んでいきます。
コンクリートの圧力で型枠が壊れないように、型枠を締め固めていきます。コンクリート打設時にかかる圧力(側圧)は、単管パイプが簡単に折れ曲がる程強いので、しっかり固めていきます。
しっかりと型枠を固めたら、ポンプ車でコンクリートを流し込んでいきます。
コンクリートが打ち終わり、コンクリートが固まったら、型枠を解体します。
手間暇かけて建物の躯体は完成。解体して現れた躯体を見て、型枠大工はホッと一安心します。